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ignal Berry

痛いことをしよう




「……アイツが好きなんだ。だから遊びは終わり」
屋上に続く北東階段を清掃するべく箒片手に一段跳ばしで階段を上がっていた冬獅郎は、4階と屋上の中間にある踊り場の数段手前で足を止めた。
聞き覚えのある声だ、と言えば事実ではあるが嘘にもなる。聞き覚えも何も、それは冬獅郎が密かに想いを寄せている相手の声だったから。

くろさき、と頭の中でその名を呼ぶ。

「一護」
重なって、けれど一文字たりとも重ならなかった彼の名に、冬獅郎の胸はヒリリとした痛みに見えない傷を知る。
「拳西とローズは『うん』ゆーたんか?」
「ん、わかったって」
「そーか。アイツらはごねるか思ったけどな」
拳西とローズ、冬獅郎には彼らと直接の面識はないが学内でも知られた3年であることは知っている。彼らと一護が、男同士ながら深く親しいことは噂で聞いてはいたが、その噂を肯定するような言葉は冬獅郎の胸を抉った。
「ま、応援したるわ。巧くいったらちゃんと報告しに来いよ。邪魔したるから」
「応援するのに巧くいったら邪魔すんのかよ?」
「当然や。そんで駄目やったら戻れ。慰めたるわ」
穏やかな声音に顔の見えない男の懐の広さを知る。噂と現実に居竦んで嫉妬して結局一歩も動けない、こんな自分では敵わないと、そう思い知る。
「サンキュ、平子」
降りてくる足音は1つ、どちらのものともわからないが立ち止まっているのが不自然だということに思い到る。一護であろうと真司であろうと、盗み聞きしていたのだと思われるのは決まりが悪過ぎる。1段1段丁寧に踏み締めて俯き加減で数段ばかり上った所で、視界に靴先が飛び込んで来た。
「冬獅郎!」
呼ばれて、呼ばれたから気付いたのだという素振りで顔を上げる。奇妙に明るく不自然に硬い表情、盗み聞きを疑われているのだとわかる。
「黒崎? お前、掃除はここじゃないだろ。サボりか?」
「今から行くって」
言外に匂わせた『何も知らない』に疑いが薄れたのか、一護が見せた苦笑はやや自然さを取り戻す。頭の硬い奴だなんて思われるのは嬉しくなかったが、今はそれで良かったかもしれない。
「じゃ、な」
「おぅ」
すれ違って、冬獅郎の爪先が4階と屋上の踊り場に引っ掛かった所で、背後から掛けられた声に振り返る。
「黒崎?」
「ぁ……な、ぁ!」
「うん?」
「お前、好きな奴いる!?」
    いる」 一護の表情が固まる、冬獅郎の目許が緊張から震えた。





奇跡みたいに想いが叶って、でもそれで何もかも上手くいくなんて現実には有り得ない。
好きになられることには慣れていたけれど、好きになるのはたぶん初めてで。だからこんな風に追いかけるのだって本当は間違ってるんじゃないかって、不安が尽きない。
ひたすらに廊下を歩きながら、大丈夫だって何度も自分に言い聞かせる。目指すのは地学室、準備室の唯一の主は本人も教え方もどこか凡庸で退屈、そのくせ他大学の講師を掛け持ちしているために不在がちで、だから自然にこの部屋は生徒からの注目度が極端に低くなる。
全く興味はなかった    冬獅郎の掃除場所だと知るまでは。

半分程度開けられたドアから水の音がする。たぶん、雑巾でも洗ってるんだろうなと、真面目としか言い様のない背中を思い出して気分はふわり浮き上がる。覗き込めば冬獅郎一人、他の二人がいないのは嘘をついて自分が追い払ったからだけど。

好きだと告げて応えられて、3週間、早いか遅いかはわからない。
でも、今日も拒絶されてしまうなら、別れようともう決めているから。

「冬獅郎、掃除終わった?」
「一護……」
ほら、溜め息。
少し前に浮き上がったばかりの気分が自分勝手に浮わついただけの何かに変わって、身体に戻ったそれが溶けて涙に変わろうとする。それはまだ、早い。
「雑巾干したら終わりだ」
ぎゅ、と手の中で絞られた雑巾から水が滴らなくなると、冬獅郎はそれを手洗い場の端に引っ掛けた。もう一度蛇口を捻って手を洗う。
その隣に並んで、自分の膝を見下ろす。スラックスの折り目の尖りが何だか痛い。

「明日、家に行ったら駄目か?」
「……またその話か?」
「俺の家でも、どこでもいいけど」
外だって構わないんだけど。
「っ、一護!?」
石鹸の泡を流していた冬獅郎が小さな呟きに瞠目するのを感じて、泣きたくなる。最初からそれくらい本気だったのに、そうは受け取っていなかった冬獅郎に腹が立つけれど、本気を伝えられなかった自分にはもっと怒りが突き上げる。
なんかもう空しい。
蛇口を閉じる金属の摩擦音にも顔を上げる気にならない。勿体ないよな、冬獅郎の顔も凄く好きなのに。

「……本当に駄目か? 絶対嫌? キスは我慢できてもそれ以上は無理?」

やっぱり男の俺じゃ駄目?
最後の言葉はギリギリで飲み込んだ。言ったら、終わらせなきゃいけなくなる。
いや、もう終わりかもしれないけど。

どうしよう、冬獅郎がいなくなったら誰の所に行こう。平子のトコ? 拳西? ローズ? ギン? 藍染さん? 石田? 行ってどうするつもりなんだ?
セックスどころかキスだって冬獅郎とじゃなきゃ嫌なのに。
毎日のようにしたがる相手に好きにキスさせてたなんて嘘みたいだ。そうは言ってもそれが本当のことだって誰より自分が知ってるけど。

「……違う、そうじゃない」
「違うって何」
「駄目なんじゃない。嫌でもないしお前が好きなのも変わってない。キスが嫌なわけないし、お前を、本気で抱きたいと思ってる」
けど。
「けど?」
何が俺とお前の邪魔してる?
「俺が、お前が今まで遊んで来た奴らよりつまらない奴だって思われるのが嫌なんだ」
「つまらない……?」
「お前の遊び相手の噂は聞いてたから、セックスどころかキスだって俺相手じゃ」
卑下する言葉なんか無意味だって、キスだって今は冬獅郎だからしたいんだってわかって欲しくて。巧い下手なんてどうでもよくて、例え冬獅郎が世界一下手だって冬獅郎だからキスが気持ちいいし、だからセックスだってしたい。
抱き付いて無理矢理顔を上げさせてキスして、絶句するその頬を撫でる。綺麗な顔、肌も気持ちいい。
「あのさ、俺セックスはしたことないから」
    そう、なのか……?」
本当に?
「男同士でするのは楽じゃないって言うし、そんなことまで遊びじゃやらないって」
ベルトの少し上、添える程度に触れる手の平、それだけで滅茶苦茶気持ちいいんだよ。

「初めてだから俺は絶対痛いけど、たぶんお前も凄ぇ痛いよ」
「そうなのか?」
うん、たぶんかなり痛い。
「それでも、痛いこと俺と一緒に……しよ?」
痛いことも気持ちいいことも、全部一緒。









一緒に痛いこと、してみるのもいいかと思って。



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