S

ignal Berry

借金問題の解決方法




それもこれも借金が悪いのだと、一護はスーツの脇に抱えた薄い鞄を見下ろし、苦々しく嘆息を吐いた。
『それ』は傘も持ち合わせていないのに今にも降り出しそうな鈍い曇り空、でもなければ、散歩中の犬にまとわり付かれてスラックスが毛だらけになったこと、でもない。
『これ』だってすっかり踵の磨り減って草臥れた靴のことでも、使い込んで皮のベルトが千切れてしまいそうな腕時計のことでもない。
一護の思う『それ』は踏み倒された借金を縁ある他人を信頼した連帯保証人から取り立てなければいけないことで、『これ』は自分がそれをしなければならないことだった。

目的地は最近家賃滞納1日で鍵を取り替えられたり荷物を放り出されたりで裁判沙汰になっている会社の物件、独身者なら珍しくもないワンルームマンションの2階。
マンションとは言えオートロック機能はないのが有り難い。オートロックだったとしても入る方法は幾らでもあるが、面倒は少ないにこしたことはない。
表札には日番谷冬獅郎とご丁寧にも氏名を記入してある、借用者の幼馴染みだったがきっと真面目な青年なんだろう。負債額は安くはないが、絶対返せない額ではない。真面目に働いて貯金していれば一括返済だって十分可能なはず。
ごんごん、とドアを叩けば直ぐにチェーンロックを掛けたままドアが開き、整った顔立ちの男が顔を見せた。一護と眼が合うなり見知らぬ訪問者にきょとりと瞬きする。
「夜分にすみません。雛森桃さんの件で……」
「雛森? ちょっと待ってくれ、開けるから」
おっと予想外。
そんなに簡単に開けちゃまずいって覚えておいた方がいいですよ、ってことで。

カチン、とチェーンロックが外れドアが開き始めるなり、一護は蝶番が壊れてもおかしくない強さと勢いでドアを蹴り付けた。ガゴンッ、と盛大に壁に叩き付けられたドアが弾かれて閉じようとするのを腕で押さえ、呆然と立ち尽くす男の鼻先までずいっ、と顔を寄せる。
ぱらぱらと壁の塗装が剥がれ落ちる音が静かな廊下にハッキリと響く。

「借金肩代わりの強制に来ましたよ    連帯保証人サン」
歯を剥いて笑う顔が凶暴過ぎて劣悪だと言ったのは誰だったろう。そんなことを思いながら、一護は靴を脱ぐと固まっている冬獅郎の肩を掴んでぐいぐいと部屋の奥まで上がり込んだ。

物が極端に少ない部屋の様子に一護は意外だと眼を瞠る。小さなテーブルと折り畳みベッドとノートパソコンとカラーボックスとケトルとコップ、室内にあるのは後は携帯電話くらいしか見当たらない。玄関にあった靴も一足きり、生活に必要な物は数多欠けているのに、冬獅郎というこの男はさもここで毎日生活しているかのようにチグハグな印象で。
妙だと思いながら一護は掴んだままだった冬獅郎の肩を突き飛ばし、座り込んだ彼の前にしゃがみながら鞄を漁って借用書のコピーを拡げた。冬獅郎の眼が文字を追って上下するのを眺め、その視線が自分に戻ると紙を取り上げて元通りに鞄へと仕舞い込む。
「つまりそういうことです」
「そういうって」
「雛森さんは期日になっても借りた金を返さず利息も払わず、あろうことか行方を眩ませてしまいました。そこで連帯保証人のアナタの出番です」
利息と元本合わせて242万円、是が非でもアンタに払って貰おう。
ギリ、と睨み付けた一護を見上げて、冬獅郎はそう言われてもと頭を掻く。
「そんな大金、ないですよ」
残念、そんな返事は聞き飽きてんだよ。

「貯金は?」
通帳出してみ?
存外素直に出された通帳を開けた一護は、最後の行に記された残高4桁に刮目する。何だこの小額!?しかもまだここから携帯電話の使用料が引き落とされるだ?
保険料の引き落としがないってことは生命保険入ってないよな……
「ないでしょう?」
「ないにしても程があるわボケ! クソ、家財もこれだけか?売り払っても利息にもならねぇじゃねぇか」
クシャ、と髪をかき混ぜて、一護苦い顔で算段を組む。深夜の日雇い仕事をさせたところで稼げる額は高が知れている。せめて今日中に利息分だけでも持ち帰りたい。マダム相手かゲイ相手に売り付けて……この顔だ、料金プラスでチップせびらせれば2桁は掴めるだろ。多少変態プレイも可ってことにすればもうちょいいけるか?

「なぁ……黒崎サン」
「あ?」
考え事の途中で不意に名を呼ばれて、名前なんか名乗ったかと首を捻りつつ一護は煩わしげに視線を投げる。フローリングの床にへたり込んでいたと思いきや、冬獅郎は何故か一護の真正面にいた。

     ぇ?」
床に手を突いた冬獅郎の真っ直ぐな眼が驚く程近くにある。焦点を結べない近過ぎる距離に咄嗟に下がろうとするが、肩に回された冬獅郎の手に引き止められて。
ギシ、と軋む音を立てたのは骨か空気か。
「身体で返すよ      アンタに」
ちゅぅ、と目許で場違いに可愛らしい破裂音がして、事態を理解できないまま一護が茫然と見上げて来るのに、冬獅郎はにっこりと笑った。
      は?」
グ、とネクタイの結び目に指を捩じ込まれて引かれる強引さに慌てて首元を掴んで奪い返す。しかしその隙に床に預けられていた冬獅郎の手が一護の膝から脚の付け根まで這い上がり、反射的に蹴り付けようと跳ねた膝を脇に挟んでそれ以上の抵抗を封じてしまう。

「えぇと……とりあえず地道に返済して行く方向で調整しましょうか」
「確かに一括返済じゃ何日掛かるかわからねぇし、黒崎サンの細い腰が壊れても困るな」
「はは、嫌ですねそんな冗談。とりあえず収入と支出についてお伺いしてその調整と、金額が金額ですから高収入のアルバイト先を紹介する必要があると思います。幾つか俺の方でピックアップして……」
やや丁寧になった一護の口調を楽しむように耳を傾けていた冬獅郎は、緊張している割りにはなかなかよく舌が回ると感心する。そうでなければ借金取りも難しいのか。

「心配するなよ、大丈夫。一生アンタの面倒見るよ」
視線を合わせたまま更に距離を詰め、唇が触れる間際に思わせ振りに瞼を閉ざす。思い切り開かれた甘いブラウンの瞳が愉しくなるくらい揺れていた。
「んぅ    っ!?」
恐怖からだろう、半ば浮き上がった尻が好都合、そこから腰、背中まで、じんわり撫で擦る冬獅郎の手が植え付ける耐え難い痺れに、一護は全力で冬獅郎を突き放す。
「アホかっ、死ね!」
声が出せた勢いに引き摺られ、手加減抜きで冬獅郎の腹部を蹴り付ける。無我夢中で鞄を掴んで部屋を飛び出し、マンションから数十メートル離れた時には、安堵から思わず泣き出してしまいそうになった。
鼻を啜り、落ち着いた所で携帯から直帰の連絡を入れる。戻れと言われる途中で通話を切って電源も切ってしまう。
家に帰ろう。自宅に帰って家族と晩御飯を食べて親父を殴って自分のベッドで眠るのだ。でもって日番谷冬獅郎は誰か別の人間に頼めばいい。頭を下げて頼むのだ、オカマ掘られることに比べればそんなことは何でもない!

何を見ても涙が滲む不思議に傷付きながら、一護はその夜自分の幸せを探し切れずにトボトボと帰途に付いた。





よし、と一護はドアの前で気合いを入れる。昨夜の勝手な直帰を詫びて、詫びついでに担当を代わってもらうのだ。
「おはよーございます」
「あぁ、黒崎サンおはようございます」
相変わらずの胡散臭い笑顔で出迎えた社長の浦原に、一護はまず頭を下げた。後で担当代えを頼むことを思うと、今頭を下げるのは下手に出るようで微妙な気分だけれど。
「浦原さん、昨日はすみませんでした」
「次からはせめてもう少し早く連絡してくださいね。それより大事な話があるんですよ。こっちに来てください」
事務所から小さな応接室に続くドアを開けて浦原に招かれるまま中に入った瞬間、一護は貧血を起こしてその場に崩れ落ちそうになった。
蛍光灯の下でも褪せない銀髪、意地悪く口角を吊り上げた笑みが、一護には悪魔のそれに見える。

「おはよう、黒崎サン    いや、一護と呼ぼうか」
折角社長になったんだ、社員とは仲良くしたいからな。

「……社長!?」
「ハイ、権利売っちゃいました」
首が飛んで行きそうな勢いで振り返った一護の隣で、浦原がピラリと紙を翳す。幾つもゼロが並んだそれが小切手と言われる物であることは一護も知っている。
「アンタ自分の会社売ったのかよ!?」
「雇われ店長……いや、共同経営者ですかね?」
それじゃアタシは先に仕事に掛かってますねー。

「さて、一護」
バタン、と背中で閉じたドアに一護は逃げ出すことを思い出すがもう遅い。社長直々に呼びつけられては逃げることもできずフラフラとそちらへ向かう。
とにかく迂回して向かい側に座ろうとした一護の手首を掴み、いやらしい笑顔で膝に座らせようとするのを全力で拒否してギリギリの攻防の末、一護は冬獅郎に手首を掴まれたまま立って話をすることになった。冬獅郎は不満そうだが、一護の本気で嫌がっている顔に仕方なく我慢する。

「一護、この会社に借金があるんだって?」
一番知られたくない事を聞かれてますます渋い顔になる一護に、冬獅郎はそれまでとは一転、優しく微笑み掛ける。
「一護だけは借金返済手段に身体も有りにするか?」
要は自分が立て替えるという意味だが。
「バッ      できるか!!」
「できなくはないだろ。心配なら試してみるか?」
「試さねぇよ!!」
「そう言わずに」
「何気なくケツ撫でてんじゃねぇよボケ!!」
「いや、これは撫でなきゃ駄目だろ」
これに欲情しない方がどうかしている。
「どうかしてんのはアンタの頭だ!」
「でも実際悪くない話だと思うぞ? 借金取り辞めて別の仕事に就けるし、金の為に必死になることもない」
俺だってお前が思っている程悪い男じゃないつもりだ。

最後の自己判断は一護にとって全くもってどうでもいいが、前半部分には大きく惹かれる。借金取りの仕事は好きじゃない、父親の借金さえなければ幾ら就職難でもこんな仕事に就きはしなかった。今だって毎日のように辞めたいと思っているけれど、しかしそれを選ぶということは自分をこの男に売り渡すということだ。
冗談じゃない。
「断る!」
借金取りの転職先がアブノーマルな風俗じゃ笑えもしない。
「……全く、アンタが買えるなら安くはないと思って投資した金が全部パーかよ。とんだ高額商品だな」
雛森への賄賂、マンションやら何やらの雑費、242万、ここの権利買収    世の中金で片が付けば早いもの程思い通りにならねぇな。
指折り数えて嘆息する冬獅郎に、雛森桃が借金に来たことから全部仕組まれていたのだと理解して、一護は唖然としつつも頬をひきつらせる。
冬獅郎の言うことを信じるならば、自分はもっとずっと以前から目の前の男に狙われていたということで。

「殺す      !!」
警察に突き出してなどやるものか、全力の鉄拳制裁以外に有り得ない!
「はいはい、一護になら何回でも殴られてやりたいけど    悪いな」
殴られて悦ぶマゾっ気はねぇんだ。
殴ろうと詰め寄った一護の身体を抱き込んで、慌てふためく脚の狭間に手のひらを這わせて冬獅郎は笑う。

「俺にここまでさせたんだ、何が何でも堕としてやるよ」
金融業者の代表者が借金踏み倒されてちゃ駄目だろ?
微かに涙目で呻いた一護の頬を優しく白い手が撫でた。









いつだって親切対応明朗会計ですから!



(c)Sakusi