GET OUT!!
「さっきはアリガトな、冬獅郎」
出席点代わりに抜き打ちで行われる教授との一問一答、その答えに詰まった一護を助けたのが2列前に座っていた冬獅郎だった。同じ講義を受けているというだけで特別親しい間柄でもなかったが、冬獅郎が偶然見付けた答えを教授に見えないよう肩越しに指し示したお陰で、一護は無事に答えられたのだ。
若干視力が低いのか、講義中掛けている銀縁の眼鏡を外した冬獅郎は、わざわざ普段つるんでいる友人を待たせてまで礼を言いに来た一護に目を瞠る。
礼ならば答えた直後、こっそり寄越した拝み姿勢で済んだものと思っていたから、思わず返す言葉に迷ってしまう。
「あぁ、いや……」
「マジで助かった。この講義、出席点デカいだろ。だから、何か俺にできることあれば言ってくれよ」
何でも。
心底ほっとしたのだろう。一護が見せた屈託のない笑みに、冬獅郎は無意識に頬を緩めて苦笑した。元々が完璧なまでに整った顔立ちが浮かべた柔らかな表情に、一護の肩からも力が抜ける。
「何でもってのは大袈裟だな。大したことはしてねぇぞ?」
意気投合の切っ掛けは、そんな他愛のない会話だった。
ガシャン、と床に置かれたコンビニ袋の中で乱雑に詰め込んだ缶ビールが派手な音を立てたのが可笑しくて、一護は時間も気にせず高い笑い声を上げた。日付も変わって幾らか時間が経っている。隣近所の迷惑になりそうだと、普段であれば当たり前に出来る気遣いが全く働かない。遅まきながら気付いたところで、その可笑しなタイミングすら笑いを誘うのだから始末が悪い。
「何一人ではしゃいでんだよ、さっさと上がれ」
そう言う冬獅郎の頬も笑い過ぎてひくついている。一護の手に未だ引っ掛かっている袋を奪い、酔っているにしてはそこだけはいやに冷静に鍵を掛けて。
一応オートロックの1ルームマンション、玄関扉を開けてすぐがキッチン、左手に浴室、その隣にトイレ、その先が部屋。普段は点けない玄関脇の電気を一護のために点けて、フローリングを奥へと移動する。
閉め切っていた室内の籠った空気を入れ換えようと、冬獅郎は一護に好きにしていろと声を掛けて正面のベランダへ向かう。
背後で聞こえるごそごそと早速何やら漁っている物音に、まるで落ち着きのないガキそのものだと笑いながら。
窓を開けるなり吹き込んだ夜風は幾らか温いが、悪い気分じゃない。
「寒くないか?」
「おー、平気……っていうかお前のノート凄ぇな! 完璧!?」
「ぁ? 何見てるかと思えばそんなもん見てんのかよ?」
部屋の真ん中、足の低いテーブルに買い込んで来た袋の中身を全て移し、水滴の浮いたビールの缶を差し出す。一護は機嫌よく笑って受け取りプルタブを開けながらも、その目はノートから離れない。試験が近いせいもあるだろうが、それにしても熱心だ。頁を捲ってはふんふんと、まるで鼻を鳴らす犬のように肯いては別の1冊を引っ張り出す。
「冬獅郎、お前他に何の講義選択してる?」
俺と一緒の。
「お前、それはあからさま過ぎるだろ」
ノートばかり相手にされて、すぐ側に座って同じ銘柄の缶を開けても振り向きもしなくて、何となく詰まらないなと思いながらビールを流し込む。
言葉を交わし始めて冬獅郎がすぐ気付いたことは、頭の回転の早さだった。話していて幾らでも話が転がる、余計な説明が必要ない。冬獅郎は本来それほど口数の多い方ではないのに、自分でも意外なほど会話が続く。
かといって沈黙に困るかと言えばそんなこともない。一護もそう喋る方ではないのかもしれない、そう思うほど訪れた会話の隙間におたがい戸惑うことがない。
簡単に言えば、気が合って馬が合って
気に入ったのだ。
だから、ちゃんと話したのは今日が初めてなのに、こうして家にまで招き入れている。自分でもこんなにも他人に対して壁が低かったことはないから不思議な気はするけれど、後悔はない。
酩酊した思考でつらつらと物事を考えるのは普段の倍どころではない時間が掛かる。気付けば手の中の缶は酷く軽くて、呷れば雫が舌先にポタリ落ちただけだった。いつの間にか空いていた缶を潰して、テーブルの足元に放ったままにしていた薄い袋に放り込む。
2本目。
ふと一護を見やる。
テーブルの上にはいつ開けたのか気付かなかったが、スルメと枝豆と唐揚げが開封されていた。枝豆の鞘は元々の容器の蓋を皿代わりにしているらしい。
放っておいて悪かったかなと思いながら様子を窺い見れば、どうやらまだノートをチェックしていたらしい。
ノートを覗き込む為に伸ばされた首筋、滑らかな肌と浮き上がった鎖骨のラインに視線が吸い寄せられた。潜むように窪みに落ちた影の輪郭。
「……なぁ、一護」
「んー?」
くす、と小さく笑う声と上目遣いで寄越される視線にふわり熱が上がる。口の中が乾いて行く。
「
脱がねぇ?」
「何だよいきなり? 別にそんなに暑くないぜ?」
脈絡もなければあまりにも唐突な冬獅郎の言葉に、一護は気を悪くした様子もなくケラケラ楽しそうに笑う。不意に缶を持ち上げた手先がプラリ揺れて、その指先が妙に印象深いのは何故だろう。
「いや、見たいなと思って
な」
「何だよそれ?」
「だから見たいんだって。何だよ、何でも言ってくれって言ったくせに」
「今此処でそれを言うか! ははっ、野郎のストリップがご希望か?」
「金積んだって難しいだろ?」
「確かに」
金でストリップなんざゴメンだ、言ってまた笑う。まるで真剣に取り合わないのは、当たり前と言えば当たり前だ。誰だって友人1日目の同性に脱げと言われて冗談だと思わないはずがない。下手をすれば出来たばかりの縁もご破算になりそうな冗談だ。
酒が入っていて許されるのは今だけで、朝になって覚えていれば、若干互いの間に距離が出来てしまいそうな、最低と言われるような。
けれど。
全く取り合わない様子で笑ったくせに、一護は突然まだ中身の残っているらしい缶を置いて立ち上がり着ていたシャツを捲り上げた。
腹の前で交差して掴んだシャツの端が捲られると、細く締まった腰から鳩尾までが晒され、ぐ、と肩から腕全体を持ち上げるようにして首元まで露わにし、そのまま頭からシャツを抜いてしまう。
蛍光灯の光の下で、薄いながらもなだらかでしっかりと隆起した腹部や、微かに浮いた肋骨が薄い光と影を描く。
「女じゃねえから腰振んのは勘弁な?」
こーゆーの?
言いながら軽く円を描くように揺らされた腰の動きに目を奪われる。女であれば柔らかさを強調するような動きも、男がすればただの動作の一つでしかないだろうに、ぼやけた白い壁を背景に泳いだ陰影が酷く鮮明だった。
赤い目許で笑いながらジーンズのボタンを指が弾く。しっかりと噛み合っていたジッパーが左右に開く音が。潜む影の色がやや濃い色合いのグレーだと認識して、急に冬獅郎の視点は揺れた。このまま定めていてはいけないのではないかと、今更になって理性が主張する。
膝下までずり落ちたブラックジーンズ、つまり目の前にいる一護が下着姿なのだと理解はするがそこから先に思考が進まない。
動揺から固まってしまった冬獅郎だが、彼の様子に構わずボクサーパンツにまで指を引っ掛けた一護に、今度こそ冬獅郎は目を剥いた。
「一護!?」
上擦った声が。
違うだろ、そこは冗談だと笑い飛ばして服を着ろと言うべきところで。
角度を固定した手首を押し下げるために一護が腰を折るのが見えて、思わず目を逸らした。テーブルの足がフローリングの木目にある点を後数ミリで踏み隠しそうだと、そんなことが酷く大事なことのように思える。このままもう少し見詰めていれば、テーブルが勝手に動いて茶色の点の上に移動するんじゃないだろうか、と。
そんな冬獅郎の耳に、音だけは、一護の酒で少し掠れた声が飛び込んで来る。
あまりにハッキリ聞こえるけれど、まさか耳元ではないだろう。
「どうせなら全部見とけよ。脱いでやるんだから」
ただし。
テーブルの上を腕で押しやって空間を作ったらしく、一護がそこへ座る。
全部見ておけと一護が言ったのだと、それだけを言い訳に冬獅郎が顔を上げる。眼球が熱い、乾きそうなのか潤みそうなのか、ただ少しの痛みと途方もない熱が捩れたようにきりきりと目尻を痛めつける。アルコールの作用で、きっと白目が充血しているのだろう。
全部、見なければいけないのに。
撓んだジーンズが脹脛までずり落ち、そこへ下着が滑り落ちる。薄らと筋肉の流れが透ける大腿の先に、肉の薄い硬そうな臀部の形までが目前にある。
膝頭が邪魔して見えない、無意識に惜しがったのは一体何に対してなのか。
「お前のノート、全部見せてくれよな?」
まさか一問分の答えで安く俺を買い叩いたりしないよな?
開かれてもどうせその奥は窺い見えないのに、左膝が思わせ振りにゆっくりとずらされて冬獅郎の喉は大きく音を立てた。
描かせたんじゃないの、描いたものがあるなら見たいって言ったの。
せっかくだからかなり加筆修正。
(c)Sakusi